はむへいのブログ

三流大学出身、転職で一流企業に就職するも結局フリーターに

反撃への準備

すべてが理想通りに進んでいた

まずは大嫌いだった支店長が異動になったこと
彼は基本的に自分の保身しか考えず
私が病院への提案を相談してもほとんど承認してもらえなかった


新しく来た支店長は私を信頼し好きなように仕事をさせてくれた
「報告だけはしっかりしろ、失敗しても俺が一緒に謝りにいくから」と

とても心強かったし実際よく手伝いにも来てくれた
作業着を来て納品の手伝いにも来ていたので

病院スタッフ「あの配送のおじさんおもしろいね」
私「あれ、支店長ですよ」
スタッフ「えーーー!」

という具合に非常に気さくな支店長だった



またライバル業者の同期の奴がミス連発してくれるおかげで仕事の依頼がどんどん舞い込んできていた


ただ反撃するのは今じゃない
大きなミスをしたときに地獄の底に叩き落としてやるよ

そんな気分だった

反撃の狼煙

あの事件から2週間後、先輩の退職届が受理された

一度だけ会社に来た先輩は
「大丈夫か?ごめんな」と声をかけてくれた
私は笑顔で「大丈夫です」と答えた
明らかに顔色の悪い先輩を心配させたくなかったからだ

先輩は決して愛想が良い方では無かったが、とても優しかった
3ヶ月間一度も怒られたことは無かったし
いつも「大丈夫か?」と声をかけてくれた


一度だけ会社の飲み会の席で
「お前には先輩のカバンを奪い取ってでも前に出ていく位の勢いが欲しい」
と言われたことがある

私は、はっとした

まだどこかお客さん気分だったこと
自分の担当ではないという、どこか他人事だったこと
先輩に完全に甘えてしまっていたこと


でも、もうその先輩はいない
1人でやるしかないのだ

事件後数ヵ月で売上は1/10以下まで激減した

うちの会社は1年目はノルマを持たない規則だった
そもそも1年目は担当を持たないからだ

でも私の場合担当は持っているがノルマが無いという
営業としては非常に気楽な状況だった


何をしたら良いのかわからない私はとにかく院内をうろうろした
すれ違う人に挨拶をした
間違いなく家にいる時間より院内にいる方が多かった

ただしあの人いつもいるけど、どこの業者だろうね
と思われていたに違いない

そんな毎日を数ヶ月送った結果
院内の職員からボイラーのおじさんまでほぼすべての人と顔馴染みになっていた

それと同時に小さいが、仕事の依頼も舞い込むようになった


ある日いつものように院内をフラフラ歩いていると出入り禁止になっている循環器内科のスタッフから声をかけられた

どうやらうちの会社でしか取り扱えない商品がありどうしても必要とのこと
「Drに話しは通してあるので今から一緒に行こう」と言われた

心臓バックンバックンいわせながら医局へ
Drから出た言葉は意外なものだった
「最近頑張ってるらしいね、あれから1年経ったしうちの部署でもまた頑張りなさい」

最初突然の事で理解できなかったが、数秒後私は深々とお辞儀をしていた

別に売上が戻った訳じゃない、でも院内で避けなければいけなかったあの場所に行けるようになったことがすごくうれしかった

それからの私はかなり積極的になった

Drにお願いし、オペの見学をさせてもらった
はっきり言ってちんぷんかんぷんだったので
オペ終了後図々しくも
どのようなオペだったのか
どの辺が難しかったのか、 質問しまくった

怒られてもおかしくなかったかもしれないが
意外と教えたがりのDrが多くて、細かく教えてくれた

こんな難しいオペさらっとやっちゃう俺すげーだろ
みたいなところもあったかもしれない

なかには次のオペはこんなオペだから勉強してこいと資料をくれて宿題を出してくれるDrもいた

売上がない=暇 な私には時間だけはあった
なので勉強しまくった

結果、Drともある程度話ができるほど知識アップしていた


院内フラフラの産物として私はもう1つ良いものを手にいれていた

院内でのサボリスポットである


中でも長く過ごしたのがとある師長さんの部屋である
自分で言うのもなんだがかなり可愛がられていて
しょっちゅうお菓子を出してもらい午後のティータイムを過ごした

もう一度言う 私には時間があった

その師長さんは言葉は悪いがバカだった、師長以前に、なぜ看護師になれたか不思議なくらいバカだった
医療の現場で必要なかけ算、割り算も危うかった

でも私は塾講師アルバイトの経験を生かし、小学生に教えるように授業をおこなった


ただ良いところもあって、おばちゃん特有の噂話好きな所である

どこどこの業者がミスったとか、最近対応が悪いとか

それはうちの会社にとって一番のライバル会社だった
そしてそれは先輩をおとしいれた会社だった

元々事件の犯人はわかっていた
循環器内科に出入りしていたのはうちとその会社だけだったし
売上がその会社に根こそぎ持っていかれたからだ

その会社は二人体制で担当していた
1人はベテラン社員、もう1人が私と同期入社

私と先輩のような組み合わせだ

その同期入社の奴が最近1人でも回り始め、ミスを連発しているというのだ


先輩見ててください、僕やってやりますよ

突然の一人立ち

もう何度目だろうか

先輩の携帯に何度電話しても反応がない


それは昨日の出来事だった
担当する病院にとある有名なDrが来て出張オペをすることになっていた

これはよくあることで
難しい症例だったり
同じ医局での勉強目的だったり


今回は後者だった


前日までに必要な医療機器をすべて準備し
確認もバッチリおこなった


そしてオペ当日
オペの序盤で使用する機器を出すようにDrからの指示

病院スタッフがかなり慌てている
スタッフ「○○さん(先輩)使用する機器が見当たらないんですが」
先輩「棚にあるので見てください」
スタッフ「やっぱりありません」

その場にいた全員が凍りついた

確かに昨日確認したときはあったはずなのに

少しの沈黙のあと

Dr「無いの?無いならいいや、なんとかするから」
スマートな対応でオペを再開し無事終了


通常のオペならまだしも今回は出張オペ
更に最悪なことに使用する予定だった機器は今来ているDrが開発に関わったものだった

オペ終了後、出張Dr、病院のDr、スタッフに謝る先輩
その後ろで一緒に頭を下げる私

「無事おわったから大丈夫だよ」
と相変わらずスマートな対応の出張Dr


一旦会社に戻り1時間後位に病院から呼び出され
先輩と支店長が病院に向かった


この業界には特有のルールがある(暗黙のルールも含めて)
○現在納入している業者から価格のみで奪ってはいけない
○先に提案した商品を他業者が提案してはいけない

もちろん例外もあるが一度も採用された商品を覆すのは
その商品が優れているほど困難である

またミスをした際のペナルティとして
○値下げ要求
○その商品の納入禁止
○ミスをした診療科目の出入り禁止
○病院自体出入り禁止

今回病院から告げられたペナルティは下から2番目
ミスをした循環器内科の出入り禁止だった

循環器内科では心臓のオペなども行い、この病院ではドル箱診療科目
うちの会社としても1回のオペで100万円以上の売上が上がることも珍しくなかった

前日に確認は確実にした
あってはならないが恐らくライバル業者が何かしたに違いない。でも確証はない


事件の翌日、先輩は会社に来なかった


その病院や他の担当病院からじゃんじゃん問い合わせの電話がかかってくる
何とか対応出来た物もあったがほとんど時間をもらって折り返す旨を伝える


先輩に電話をしてみる
出ない、なんだか泣きそうになってきた


困っている私を見て先輩たちが助けてくれた


何とか一日が終わり、また先輩に電話をしてみる
やはり出なかったが今回は留守電に切り替わったので今日は無事に終わったことを入れて電話を切った


翌日支店長に呼ばれた
今日から先輩が担当していた病院をすべて受け持って欲しいとのこと
突然の事で完全に固まってしまった

どうやら先輩の奥様から電話があって、先輩はとても働ける状態ではないこと
以前から激務の影響で心身ともに限界だったと言うこと

実はこの業界では珍しい話ではなく精神的にやられてしまうのはよくある話で
体力、精神力が無くなったときにポッキリいってしまうのだ


もちろん他の業界でも大変なのもわかるが、この業界特有の商品に人の命が関わるということが大きなプレッシャーとなる


ともあれ突然私の一人立ちが決まってしまった
当時まだ入社3ヵ月である

後にも先にもこんな話は聞いたことがない
本来であれば大体一年かけ先輩の担当先を少しずつわけてもらい経験を積む

また今回のようなケースの場合他のベテラン社員が担当するはずである

どうしてこうなったのか不思議で、最初会社を憎んだが
数年後、病院関係者に聞いた話で理由がわかった


支店長と先輩が呼び出された時、先輩はオペ直前にも確認すべきだったこと、予備の機器を準備していなかったと謝ったそうだ
だか支店長は自分の保身に走り、その対応に激怒した病院は支店長を出入り禁止にしたそうだ

つまり支店長はその病院を諦めた、捨てたのだ


そんなことは知らない私はたった一人の戦いを始めるのであった

初出勤の話

どっかーん

轟音と共に新品ではないが、きれいに掃除された事務机の引き出しが全部出てきた

オサレな作業着に着替え、席について数分後の出来事だった


最初何が起こったかわからなかったが、どうやら携帯で電話中の先輩が机に蹴りを入れ
そしてまだなにも入っていない引き出しが衝撃に耐えきれず出てきてしまったようだ

電話が終わり一言

「電話鳴ってるだろうが!新人研修で習わなかったか?」

私「ななな習いました」
と焦りまくり慌ててボールペンとメモ帳をカバンから取り出した所で
もう一人先輩が現れ自己紹介された

どうやらOJTで教育担当してくれる先輩のようだ


年齢は35歳、寡黙な感じでいかにもできる営業マンって感じ
挨拶もそこそこに、外回りまでまだ時間があるので
商材である医療機器のカタログを見ているように言われ
まるで辞書のように分厚いカタログを開く

先程の出来事があったので電話が鳴るたびに慌てて受話器を取る
でも先輩達の速いこと速いこと
結局その日は一度も電話応対できなかった

その後は得意先の病院を回り、挨拶をした記憶はあるが緊張してよく覚えていない

あっという間に17:30になり先輩から
帰っていいぞの一言
挨拶をしその日は帰った


後に聞いた話によると新人は最初1ヵ月は17:30に帰らせるように指示が出ていたようだ

今の時代だと蹴りが入った時点でブラックとか言われそうだが
15年前はまだブラックという言葉自体まだ浸透しておらず
仕事というのはこんなものなんだと思っていた

そして数ヵ月後この仕事の本当の恐ろしさを知るのだった

就活って簡単じゃね?学生編

周りがあわただしく就活していたので、なんとなく合同セミナーに参加

地元ではある程度名の知れた企業の説明会の後ろのほうの席に座り

もちろん質問なんかすることもなく資料だけ貰って終了

これが就活デビューでした

 

私はどこか楽天的なところがあって就活も

「なんとかなるんじゃね?」

と4年生の2月頃に重い腰を上げたのでした

 

 

私の家系は親戚を含め公務員家系で父親も私を公務員にしたかったようです

でも時すでに遅し、早い人なら1年生の時から対策してますよね

 

さらに問題があって、4年生なのに毎日学校に行かねばならず

4単位落とすと留年という状況です

(今考えれば留年したほうがよかったかも・・・)

 

なぜそんな状況かって?

そりゃ1,2年でサボりまくったからですよ

 

毎日バイト、開いてる時間に麻雀という毎日

特にバイトが忙しくて学校行ってる暇がなかったんですよね

 

実家暮らしで特にお金に困ってるわけではなかったのですが

第3次反抗期で両親と喧嘩ばかり、バイトも扶養から外れるから

あまりしないでくれと頼まれ

「わかったよじゃあ授業料自分で稼ぐよ、それなら文句ないだろ?」

バイト漬けになったのでした

 

時給優先で

 

居酒屋

塾講師

レンタカー屋

ゴルフの打ちっぱなしの球拾い

 

時期は少しずれますが基本掛け持ちでした

時給優先ですが後のスキルアップにつながっていたと思います(後述)

 

 

私の大学は地元ではある程度有名な私大ですが全国的には無名

いわゆる3流大学です

 

就活を行うに当たってまずはターゲットを絞ることにしました

当時の私の考え方は良いのか悪いのか「消去法」でした

 

文系の大学だったため

技術職→×

事務職→嫌い(だから公務員嫌だった)

資格→無

 

私の脳内コンピューターがはじき出した結果は

 

 

営業しかなくね?

 

 

安易ですよね・・・

わかります

 

しかも私は話すのは得意では無く(当時はそう思っていた)

人付き合いも最小限

とてもいわゆる営業向きと言われる人間ではありません

 

 

特に業種はこだわらずに4社エントリー

最初に受けたところは某製薬会社(ダジャレや個性的な製品名が多い)

採用になるとは思いませんが面接の練習くらいにはなるかなー

くらいのつもりでした

 

1次試験が、新製品の名前と内容を考えてください

でした

 

ま 落ちましたけどね

 

 

2社目が日用品卸の会社

1次面接まで進みましたが

落ちました

 

そりゃそうですよ

まったくなんの対策もしてないし

 

3社目

清涼飲料のメーカー

1次面接が集団面接で一人ずつ質問されていくタイプのやつ

 

なんと通過しました

ここで思ったこと

意外と自分って喋れるな・・・

 

 

4社目まで数日あったのでここでようやく自己分析

といっても学生時代でPRできることはアルバイト経験くらいなので

それ1本でいくことに決めました

 

①居酒屋

基本厨房でしたが接客、客引き(今は禁止ですよね)もやりました

厨房ではオーダーをこなしていく中で出来上がり時間等を考慮し

仕事の優先順位を覚え

 

接客で人と話すことに慣れ

 

客引き・・・ あんなのナンパと一緒ですよ・・・

 

最初は全然うまくいかなかったけど

いかに少ない言葉で、短時間に人を引き付けられるか

考えるうちに成功するようになりましたね

 

②塾講師

最初は小学生、慣れた頃に中学1年生でした

特に小学生が大変で、英語も教えていたので

まずはアルファベットからですよ・・・

 

基本書き取りばかりなのですが

一人の内気な少年が毎回同じ間違いをするんですよ

 

少女→girl を

少女→gal

って書くんですよね・・・

 

亀仙人をリスペクトしていたのかな

あの少年はまっすぐ育っただろうか・・・

 

とまぁこんな具合に色々な生徒がいるわけで

一方的に教える、というよりは一緒に考えるということを学びました

 

③レンタカー屋

営業=車の運転

レンタカー屋では色々な車に乗りました

 

④ゴルフの打ちっぱなし

カートでは拾いきれない隅にあるボールを拾います

えぇ1時間網持って走りっぱなしですよ

 

体力付くよねー

 

こんな感じでバイトでの体験談、身に付いたことをまとめ

 

4社目 大手医療機器商社

とんとん拍子に進み

 

結局

3社目の清涼飲料メーカー、4社目の医療機器商社から内定をもらいました

4分の2 なかなか良い成績ですよね

普通ならまだまだ活動を続けますよね

でも私はやめました

 

だって別になりたい職業とか無いんだもん

 

しかも悩むことなく4社目に決めましたよ

 

なんでかって?

3社目の面接の時に言われたのよ

 

「仕事では作業着を着てトラックに乗ってもらいます」

ってね

 

トラックはいいとしても何で営業が作業着きるんじゃ

 

という訳のわからない理由で4社目に決め

 

真新しいスーツに身を包み

 

ドキドキしなが配属先に出勤し

 

最初に言われたのが

 

「荷物運びとかあるから机の上の作業着きてね」

 

初日から波乱の幕開けなのでした